■あらゆる女性を敵に回した「不倫」騒動

アンジャッシュの渡部建さんの「不倫」騒動は、長らくコロナで心身ともに疲れ切っていた日本人にとって、久しぶりに鬱憤を晴らす絶好の好機となってしまった。緊急事態宣言が解除され早々に放たれた文春砲は、先の見えぬ日々にヤキモキしてきた日本人に、再び「日常」が戻ってきたことを思い出させる形となった。他人の失態に好き放題いえるだけの心のゆとりを取り戻したともいえる。

過去、幾度となく繰り返されてきた「芸能人の不倫」騒動。直近では俳優の東出昌大さんの「不倫」が記憶に新しい。幼い子らの育児に奮闘する妻を放っての無邪気すぎる恋愛に、世間の非難は集中したものだが、今回はそれに輪をかけての強烈な逸話の連続に、弁解の余地なしと非難は集中放火した。

爽やかイケメン、機知の富む饒舌なトーク、食などに対する豊富な知識、一児のパパで、しかも妻は若くて美人な“あの”佐々木希さん。そんなハイステータスで売れっ子な男が、よりにもよって多目的トイレでの15分「不倫」を繰り返し、しかも報酬が1万円という倹約ぶり……。

いや、むしろ1万円などないほうがマシだった。これでは「寸暇を惜しんで会いたかった」という弁明すら成立しない。時間単位の報酬ありきの付き合いは恋愛とは呼ばない。

結果として、不倫される(かもしれない)側にとっても、不倫する(かもしれない)側にとっても、「ありえなさすぎる」事態となり、生きとし生ける全女性を敵に回すこととなった。

■日本中がにわか「裁判官」になる不思議

だとしても、である。その後の手を変え品を変えの誹謗(ひぼう)中傷、罵詈(ばり)雑言、暴言暴動は、どう考えても行き過ぎだった。

渡部さん本人に向けての非難コールはもとより、相手の女性(と思わしき人物)に対する「信じられない」「死ね」などといった暴言の数々。たったひと月ほど前、SNSへの誹謗中傷の書き込みを苦に自殺した女子プロレスラーの木村花さんを悼んでいた同じ国の出来事とは思えない。

あるいは任意の「自粛警察」が跋扈(ばっこ)した日本ならではのお家芸なのだろうか。

そもそも、それほど国民全員が品行方正なお国柄とも思えないが、いざとなると世のなかがにわか裁判官」だらけになる不思議。むしろそれだけ日々の鬱屈がたまっている証拠なのかもしれない。

さらに、その裁判官たちが皆、匿名という名の透明マントで自己防衛していることは言うまでもない。名も姿も見せずにいられるからこそ、会ったこともない他人を平気で言葉で切り刻むことができる。

■「どうでもいい」ことにエネルギーを費やすことのデメリット

そもそも不倫騒動で実質的被害を受けるのは、家族と所属事務所、仕事関係者だけだ。あとは長年応援してきた直接のファンだろうか。

それ以外の部外者にとっては、誰がどんな「恋愛」をしようが、何ら、まったく、完全に、関係はない(自分の境遇に重ね合わせてしまった場合は、話は別だが……)。

佐々木希ちゃんがかわいそう」という心配の声も、本人にしたら大きなお世話だろう。配偶者の不倫を理由に周囲から同情の声を寄せられて心から喜ぶ人間などいない。むしろそっとしておいてほしいし、子どもと家族の未来のためにはさっさと忘れ去ってもらいたいものだ。

つまり、他人への誹謗中傷に大義名分はなく、単なる「イジメ」以外の何物でもない。匿名という隠れみのが、情報開示で取り払われてもなお、堂々と非難するべき確固たる理由がない場合は、控えたほうがいいといえる。

■怒りを感じる「偏桃体」、それをコントロールする「前頭葉」

だがこの際、「相手への配慮」という観点はいったん脇に置いておこう。ここでは、「誹謗中傷」する側の、心理的、立場的なデメリットを理解しておきたい。

本来、何か不愉快な事象に接した際に、私たちがとっさに怒りや不安を抱くのは、自然の摂理である。

大脳の側頭葉にある「偏桃体」は、危険を察知し、恐怖や怒りといった感情を引き起こす。もし、獰猛(どうもう)な蛇などを目の前にして、恐怖を感じなければ、私たちはあっけなくのみこまれてしまう。いわば生存するための危険察知センサーとして、「偏桃体」は機能し続け、私たちのご先祖様は外敵から身を守り、進化することができたのだ。

だが、高度に社会化した現代の世で、偏桃体センサーそのまま、喜怒哀楽を表に出していたら不都合が生じる。怒りに任せて相手を殴り倒し、不安に駆られ周囲を怒鳴り散らしていたら、どんなコミュニティでもやっていけない。周囲にいつも何かしらの愚痴や不満、他人への悪口を言っている人はいないだろうか。愚痴や悪口も、一時なら気も晴れようが、周囲の人間からの評価はダダ下がりである。

いつも他人への怒りを抱えている人は、怒りの記憶ばかり強化されて、楽しかったことや生産的なことに思いをはせる回路が失われやすい。つまり、本人にとて良いことなしである。

■匿名でブチきれるネットにいる大人たち

怒りや不安の衝動を抑え、感情をコントロールするのは、同じく大脳にある「前頭葉」の働きだ。偏桃体によって不安や恐怖を感じても、適切な状況判断をし、感情を抑えて行動する。

ちなみに「前頭葉」は幼い子では未発達だ。高齢になり脳機能が委縮していく場合も、前頭葉のコントロールは弱くなる。だから、子どもは感情のまま相手に手を出すし、キレる老人は他者に怒鳴り散らす。

そう、通常の大人ならば、「怒り」や「相手を怒鳴りつけたい欲望」「誹謗中傷したい欲」はある程度コントロールできるはずなのだ。怒りは仕方ないものではなく、自分の選択の結果であるともいえる。もっとも、それを重々承知しているからこその「匿名」なのだろうが。

■「怒り」は成長の糧として蓄える

もちろん、怒りすべてが悪モノとはいえない。個人的な怒りがモチベーションになり、成功に結び付くという事例もあるだろう。世の中の不正に対する怒りが原動力で、社会変革を起こす人もいる。

だが今回のような事例は、極めて個人的な問題だ。神出鬼没のレイプ犯でもなければ、権力を行使しての無理強いでもない。

不倫を起こした本人と女性(単数なのか複数なのかは知らないが)が、見も知らずの不特定多数の匿名者から誹謗中傷を浴びせられるいわれはないのだ。

それでも、芸能人の不倫騒動のたびに、私たちの心がザワつくのは、それを全世代的に許してしまえば、次世代を生み育てる基盤が崩れ去ることを本能的に察知しているからかもしれない。文化圏で違いはあれど、少なくとも私たちが住む日本では、一夫一婦制で次世代を生み育てていくことが、社会上の合意となっている。「子どもはつくるが、夫は外で遊びたい放題」では家庭は機能しない。

だからこそ、「幼い子育て中の妻を放っての不倫」が、ことさらに世間からの非難を浴びているのではないだろうか。

■「批判」と「誹謗中傷」は、似て非なるもの

ちなみにだが、「批判」と「誹謗中傷」は似て非なるものだ。木村花さんの自殺のあと、多くの芸能人がSNSなどを通じて誹謗中傷を受けてきたことを告白し話題になったが、その延長線上に「だから安倍首相への非難もやめよう」というびっくり見当違いな意見も散見した。

そもそも、国民の税金を投入する政策を決定する権限を持つ時の政権や首相に対して、自国民が「評価」「批判」「意見」する権利を持つのは、民主主義国家の基本である。

一方の、芸能人のスキャンダルや失態、あるいは「好き・嫌い」といった感情を、言いたい放題世間にぶちまけることは、「批判」ではなく「責めること」だ。

自民党インターネット上の誹謗中傷対策を検討するプロジェクトチームの会合を開き、悪質な書き込みをした人間を対象に刑事罰を強化することや、発信者の情報開示を迅速に行える法案を準備しているが、くれぐれも「政権や首相に対する批判」と、「一般人誹謗中傷」が混同されることは妨げなくてはならない。

自分が抱いた怒りは、正当な批判なのか、それとも単なる誹謗中傷なのか。一瞬、立ち止まって考えることを習慣づけたい。

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三浦 愛美みうらまなみ
フリーランスライター
1977年埼玉県生まれ。武蔵大学大学院人文科学研究科欧米文化専攻修士課程修了。構成を手がけた本に『まっくらな中での対話』(茂木健一郎ほか著)などがある。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/IPGGutenbergUKLtd




   

誹謗中傷は良くないということはわかるけど、不倫の内容が内容だけにね。

<このニュースへのネットの反応>

マスゴミのプレオンがしてる、反日ヘイト偏向ニュースで載せて良い物なんて何もないけど、立ち止まって考えた事なんてないよね?


突っ込みたい所がありすぎて困るが・・・こんな記事を書くことがが成長の糧になるのか?とだけ。


全部プレオンのことかと思ったよw まあ、多目的トイレでの性行為は不倫じゃなくてもバッシングの対象だと思うよ。


誹謗中傷を煽動しているメディアが言っても何の説得力もないんだよなぁ