5/21(土) 5:15
東スポWeb
さんまの〝元相方〟が詐欺逮捕! 島田洋七が証言「一緒に形態模写漫才をやっていた」
さんまもショック(東スポWeb)
愛知県警が先日、詐欺の疑いで逮捕した名古屋市中村区の元落語家で無職の高橋平明容疑者(72)は明石家さんまの兄弟子だったという。
逮捕容疑は、2年前に開催しないイベントの準備金という名目で知人から200万円をだまし取った疑い。容疑を認めているという。
高橋容疑者は1972年、露の五郎さんに弟子入りし、その後、笑福亭松之助さんに再入門。松之助さんの本名である明石の名前をもらって明石家小禄として落語家デビューした。
一方、さんまは74年に松之助さんに弟子入りし、高座名は笑福亭さんま。その後、明石家さんまとして再出発した。
「1970年代半ば、毎日放送の『スタジオ2時』の企画である若手漫才選手権の出演打診があったんです」(お笑い関係者)
当時を知るお笑いコンビ「B&B」の島田洋七はこう語る。
「さんまは兄弟子の明石家小禄(高橋容疑者)と組んで、若手漫才選手権に出演し、形態模写漫才をやっていた。おもろかったんですわ」
形態模写漫才ではさんまが巨人選手の形態模写を披露。巨人のエースだった小林繁さんの投球フォームを披露し、人気が高まった。
洋七は「花月劇場で見ましたが、おもろかったですわ。ウケたんで吉本から本格的に漫才をやらないかと打診されたんですが、ピンでやりたいさんまが断ってコンビを解消したと聞いてます」と話す。
約30年前、高橋容疑者は副業として京都でスナックを経営していたが、金銭トラブルが原因で吉本を退社したという。
お笑い関係者は「吉本興業を辞めた後、東海地方で五所の家小禄という名で落語家として活動していたという話でしたが、2011年に心筋梗塞で死んだことになっていた。そのころからカネに困っていたという話でした。今回の逮捕で、生きていたことが分かり、びっくりしました」と明かす。
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/425da8e3b3cd4d4f68929654b63c780fcb1c07d7
カテゴリ:芸能 > 芸人
有吉弘行、上島竜兵さんに感謝の言葉…涙声で現状を吐露
お笑いタレントの有吉弘行が15日、パーソナリティーを務めるラジオ番組「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」(JFN系/毎週日曜、午後8時)に出演。11日に61歳で亡くなった「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんについて語った。
“竜兵会”メンバーの有吉にとって、上島さんは不遇の時代を支えてもらった“恩人”でもある。有吉はこの日の放送で「いやぁ、まいったね。驚いたよ」と正直な思いを口にした。
有吉は「結構元気出たつもりだったんだけど、元気出たり落ち込んだりって感じで」と現状を吐露。声を詰まらせ、涙声になりながら「なんか悲しいな、やっぱりな」と明かした。
「いつも年の始めの上島さんが来てくれる放送が1年で1番つまんない回でそこから少しずつ面白い回の放送ってなってるんですけど、まぁ今日が1番つまんない放送になってるだろうな」と有吉らしく明るく話すも、その声は悲しみで震えていた。
通夜の前には2人きりになる時間を設けてもらったようだが「みんなに気を遣ってもらって亡くなった上島さんと2人きりにしてもらったけど、お礼の言葉しか出なかったね。本当にありがとうございますってことしかなかったね」と感謝の言葉を口に。
そして、「もうちょっと話せるかなと思ったけど、まだちょっと早いね」と語った。「よく『ありがとう』って言う人だったけどみんなから感謝されてて、俺も本当にありがとうしかなかったね」と続けた。
また、「肥後さんがずっと元気に頑張ってやっていて、出川さんが泣いているときも『キスしたほうがいいんじゃないか』って言ったり、出川さんが『いや、まずいでしょ、ご時世的に』って」と明るく振る舞う葬儀での様子も説明。「肥後さんとジモンさんと奥さんが1番つらいだろうけど、いろんな話を振ってくれて元気にやってくれてすごいありがたかったね、本当にね」と明かした。
その後も有吉が上島さんにプレゼントした時計を大切に使用していたことなど、有吉らしく明るく話そうと努める、終始声を震わせながら思い出を振り返った。
そして、1曲目として上島さんが好きだった中島みゆきの「ホームにて」を流した。
2013年にはツイッターで「涙をこぼすのは上島さんの葬式だけ」とツイートするほどに慕っていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/53f9c3068a8ca3018ed2fa0e8cb2cf6f3a529020
有吉弘行 上島竜兵さんの訃報に貫く沈黙…SNSの更新も止まり心配の声
有吉弘行 上島竜兵さんの訃報に貫く沈黙…更新止まるSNSに「大丈夫?」と相次ぐ心配の声
5月11日に、お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さん(享年61)が亡くなったことが報じられてから2日が経った。
ビートたけし(75)や松本人志(58)ら芸人仲間をはじめ、各界から追悼のコメントが寄せられている。
同じリアクション芸人として、上島さんと“キス芸”も披露していた出川哲朗(58)は同日、所属事務所を通じて次のようにコメントを発表した。
「無念です。まだまだ竜さんとケンカしてチュ~したかったです。最高のライバルであり最高の友でした」
そんな出川は、憔悴した様子を見せていたという。
「昨日、出川さんはバラエティ番組の収録に参加したようです。ですが目を腫らし、落ち込んでいたと聞いています……」(テレビ局関係者)
上島さんの訃報が報じられた直後、Twitterでは出川と有吉弘行(47)の名前がトレンド入りした。
出川だけでなく、上島さんと親交が深かった有吉弘行を慮る声も相次いでいた。
芸風は異なれども、上島さんは有吉にとって尊敬する先輩であり“恩人”だった。
「有吉さんは、後輩芸人たちが上島さんを囲んで集う『竜平会』の中心メンバーです。’90年代半ばにブレイクしたお笑いコンビ『猿岩石』が解散した後、有吉さんはピン芸人として活動するも鳴かず飛ばずでした。そんな有吉さんを、上島さんがよく面倒見ていたのです。有吉さんをとても可愛がっていた上島さんは、『いつも俺のそばにいてくれ』と言うほどだったようです。
そんな有吉さんは現在のように人気者になっても、上島さんへの恩義を忘れることはありませんでした。万が一、上島さんが老後に困窮したとしても助けられるように、有吉さんが“上島貯金”をしていたというエピソードは有名。昨年に上島さんが還暦を迎えた際も、有吉さんは高級腕時計を贈っていました」(芸能関係者)
上島さんとたくさんの時間を過ごしてきた有吉だが、現在に至るまでコメントは発表していない。
また有吉のTwitterとInstagramも、10日を最後に更新がストップしたまま。Twitterのコメント欄には、《大丈夫でしょうか?》《みんな有吉さん心配してる》といったメッセージが寄せられている。
かけがえのない“恩人”を失った有吉の心痛は、察するに余りある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f571018e71aca1dcd64b34782fe3f4e63e5bd5e5
ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん 自宅にて死去
※2022年5月11日 水曜 午前7:26
ダチョウ倶楽部のメンバーで、お笑い芸人の上島竜兵さん(61)が、自宅で死亡しているのが見つかった。
11日午前0時ごろ、東京・中野区の上島竜兵さんの自宅で上島さんが首をつっているのを家族が見つけ通報した。
上島さんは病院に運ばれ、死亡が確認された。
自殺を図ったとみられている。
上島さんは、お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部のメンバーとして活躍していて、テレビ各局のバラエティー番組に出演していた。61歳だった。
続きは↓
https://www.fnn.jp/articles/-/358531
★1 sage 2022/05/11(水) 07:29:31.94
餅田コシヒカリ マッチングアプリで「さくっとヤリ逃げされた」痛い過去
4/14(木) 14:48
スポニチアネックス
餅田コシヒカリ マッチングアプリで痛い目見た過去 「イケメンのクリエイター、会いに行ってみたら」
お笑いタレント、餅田コシヒカリ(27)が13日放送のABEMA「2分59秒」(水曜後9・00)に出演。マッチングアプリで過去に出会った印象的な人々を振り返った。
人間の集中力が続くと言われる「2分59秒」の持ち時間で、決められたテーマについてスピーチする番組。「交際確率80%!餅田式マッチングアプリの極意」をスピーチした。
「20歳でマッチングアプリを初めて、8年間でだいたい100人くらいの方と出会いました。その中で真剣交際したのは15人くらい」とし、昨年6月にマッチングアプリで知り合った男性と現在も交際中。「本当にいろんな失敗をして、ようやく巡り合えたのが今の彼氏」だという。
過去にアプリ経由で出会った人たちは多種多様で「全部が全部めちゃくちゃいい恋愛だったわけじゃないんですよ」と回想。
「顔写真がめちゃくちゃイケメンで職業がクリエイター。気になるので会いに行ってみたらホストの勧誘だったり。初デートがパチンコ屋だったのでおかしいなと思ってたら案の定、金貸してくれっていうタダのクズだったり。腹筋バキバキのイケメントレーナーとデートに行ったら、さくっとヤリ逃げされたこともありました」と苦笑。
一方で良い意味で印象的だった人もいた。「福島で鮭の漁をしている人に出会って。その人が1カ月くらい東京に来ている間にマッチングしたんですけど。おみやげに鮭の干物を丸ごと一本とタッパーに大量のいくらの醤油漬けをくれて。めちゃくちゃおいしかったんです。物腰も柔らかくてすごくいい人で、付き合ったんですけど、向こうが1カ月たって福島に帰らなきゃいけないと。嫁を探しに来てたんだって言われて。当時私は女優を目指していたので、夢は諦めないよって言ってお別れしちゃって…」と悲しい別れ方になったという。「別れても鮭は送ってくれてましたね」と優しい人だったと振り返った。
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/2256c6d43043475258a2271e4629b2a88fc85572