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オリコン
加藤浩次、吉本興業とのエージェント契約を終了
加藤浩次 (C)ORICON NewS inc.
吉本興業は9日、お笑いコンビ・極楽とんぼの加藤浩次(51)とのエージェント契約を終了することを発表した。
(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/4eebeb73e0664d0ff0b1a3e431c5df449d350728
カテゴリ:芸能 > 芸人
渡部建 2ヶ月前に始めた豊洲のバイト…たった3回しか勤務していない
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210226-02812053-tospoweb-ent
もはや豊洲で知らない者はおらず、周囲は温かく見守っているそうだが、渡部が出勤したのは今月19日時点で3回。1回8時間労働なのだから計24時間、つまり丸1日働いたレベルなのだ。
これには年初から約2か月、びっしり働いていたと勘違いしたネット住民から「駆け出しも駆け出しじゃん」「これじゃあまだ豊洲は語れないな」という声が上がっている。
豊洲市場でバイトの渡部建、ベンツ通勤で微妙に金持ちアピールか
豊洲市場でバイトの渡部建、ベンツ通勤で微妙に金持ちアピールか
- 2月25日に発売された週刊文春(3月4日号)に「『豊洲バイト』勤務先社長が語る 渡部建の“本気”」という記事が掲載された。
もともと、渡部建(48)が「豊洲市場でアルバイトしている」という目撃情報がSNSで取り沙汰されていたという。
20日には日刊大衆が「アンジャッシュ渡部、豊洲市場で働いてる!?『ウニを運んでいた』!!」の記事を配信。
22日にはスポニチアネックスが「アンジャ渡部、豊洲市場でアルバイト 妻・佐々木希の勧めで“みそぎ”のハードワーク」と報じ、更に世間の耳目を集めていた。
渡部のバイト先は、豊洲にある仲卸。
文春の記事では、仲卸の社長が取材に応じている。
社長は文春の取材に対し《「あんな華やかな場所にいた人間が、人が寝ているときに働くっていうのはさ、並大抵じゃない。本当に大変なことなんだ」》と、渡部を全面的に擁護している。
バイト代ゼロの「無給」といい、事情を知らない社員が《「社長、今度入ってきたの、一生懸命ですね!」》と言うほど熱心なのだという。
だが、文春の記事を精読すると、微妙な違和感を覚えるのは事実だ。
例えば《渡部は週に一度、深夜〇時から午前八時まで勤務》という一節がある。
■「ウニの整理」が仕事
妻の佐々木希(33)はドラマの好演が評価されたほか、アパレルブランドを経営していることもあり、多忙な日々を過ごしているようだ。
そして長男は2歳と手のかかる時期。
そのため渡部が家事と育児を担当しているという。
週に1日の勤務日を捻出するのも大変なのかもしれない。
そのことは理解できるにしても、やはり週1度のアルバ..【日時】2021年02月26日 12:30
【ソース】デイリー新潮
志村けんの元付き人が志村さんとのエピソードを語る
(出典 img.5ch.net)
2/26(金) 6:15配信
女性自身
灰皿を差し出すのも付き人の仕事。ヘビースモーカーだった志村さんだったが、16年に肺炎になったことをきっかけにきっぱりとタバコを止めた/Copyright (C) 2021 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.
「志村さんが亡くなられたことは理解しているんですが、今でもコント番組以外での志村さんを見られないんです」
そう語るのは昨年3月29日、新型コロナウイルスで亡くなった志村けんさん(享年70)の付き人を’94年から7年務めた、弟子の乾き亭げそ太郎さん(50)だ。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)での眼鏡をかけた家来の姿は記憶している人も多いだろう。
死から1年近くたったいまも、コントの役に扮装していない、トーク番組などでの志村さんの映像を目にすると、悲しみがぶり返してくるのだという。
鹿児島県出身のげそ太郎さんは17歳のときに家出同然で東京に出た。23歳のときに、子どものころからテレビで見ていた憧れの志村さんの弟子になることを決意した。ちょうど、志村さんの運転手を募集していたこともあり、付き人に採用された。
「いちばんの仕事は志村さんの送迎です。自宅までリムジンで迎えに行って、収録現場まで送ります。現場では食事の手配や、小道具の確認もします」
志村さんの収録が終わっても、げそ太郎さんの仕事は終わらない。
「志村さんはほぼ毎日飲みに出かけるので、その送迎です。お店から出てくるまで、何時間でも車の中で待機して、自宅まで送ったら付き人の仕事は終わりです」
げそ太郎さんは車中での待機中に、リムジンの運転席でコントのネタを書くようにした。志村さんの番組のスタッフにお願いして、志村さんも出席する“ネタ会議”に提出させてもらった。
「いちばん最初に僕がネタを出したときは志村さんが目を通したのか通してないのかわからないぐらいの速さで不採用になりました」
しかし、めげずに何度もネタを出した。
「ある日、僕が書いた家族コントを『これいいな』と採用してくれて……。そこから何回かネタが採用され始めたころ、『こいつ頑張ってるんでバカ殿様の家来役で使いませんか?』とディレクターさんが志村さんに提案したんです。『そうだな』って志村さんも賛同してくれました」
その夜、麻布十番のイタリアンのお店に呼んでくれた志村さん。2人きりの食事だった。
「『頑張ればできるだろう。もしかしたら(放送)作家の誘いがあるかもしれないが、芸人をやりたいんだったら、芸人をちゃんとやっていけよ』と言っていただきました」
昨年3月下旬、志村さんが新型コロナに感染し重篤な状態になっているというニュースが流れてすぐに、げそ太郎さんは当時の付き人に連絡をした。
「正直ギリギリのところです」
そんな返事だったが、げそ太郎さんが住む鹿児島県は当時1人も感染者が出ておらず、どこか楽観しているところもあったという。だが、5日ほどたって志村さんの専属メークから電話があった。
「志村さんが亡くなった……」
げそ太郎さんは激しく動揺し、すぐにテレビをつけると「志村さん死去」というテロップが目に飛び込んできた。
「全く整理がつかないまま僕とメークさんは声を上げて泣きました」
志村さんが亡くなった夜、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(60)からビデオ電話がかかってきた。
「上島さんが泣きながら『あのハゲ死んじゃったな』って言ったんですよ。それが僕の胸にすごく刺さってボロボロ泣いちゃいました」
げそ太郎さんには、多くの番組で共演し、20年以上酒を酌み交わしてきた上島さんの悲しみが、その一言に集約されているように思えたという。
(取材・文:インタビューマン山下)
(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f03b1b0596d4d2d761444494c884019d3086d1b8
アンジャッシュ渡部、豊洲市場でウニを運ぶ仕事をしていた
アンジャッシュ渡部、豊洲市場でウニを運ぶ仕事をしていた
- 2020年6月、複数の女性との“多目的トイレ不倫”が報じられ、現在に至るまで芸能活動に復帰できていない、お笑いコンビ・アンジャッシュの渡部建(48)。
2月12日発売の『FRIDAY』(講談社)では、都内の書店でビジネス書『デール・カーネギー流 1分で惹きつけるプレゼンの技法』(ぱる出版)を座りながら試し読みしている渡部の姿が報じられていた。
仕事にも復帰することができず、家にも居場所がなさそうな渡部だが、なんと現在、「東京・豊洲市場で働いている」という情報が入ってきた。
【日時】2021年02月19日 14:59
【ソース】日刊大衆