シンガー・ソングライターの宇多田ヒカル(39)が4日、自身のインスタグラムを更新し、一部報道でニューヨークで小室眞子さん(30)との「極秘会食プラン」が進行しているという報道を完全否定した。
宇多田は「私と小室眞子さんがNYで会食の計画をどうのこうのって内容の記事を見たんだけど、これは流石に笑えないわ。こういう作り話をどれくらいの人が鵜呑みにするんだろう」とつづり、「ロンドンに住んでもう10年なんだけど、この記者は私がNY生まれだからNY住んでるだろっていうイメージで私を選んだのかな」と疑問を呈した。
宇多田は「人間活動」に専念してアーティスト活動を休養していた12年にロンドンにロンドンに移住している。
スポニチ
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e4f921b40c8623b690d824fcdaa9760a303fc5d
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中森明菜 デビュー40周年…近藤真彦との熱愛、自殺未遂など波乱万丈の40年
中森明菜 近藤真彦と熱愛、自殺未遂後に衝撃会見…目撃した波乱万丈の40年
抜群のセンスと数々のヒット曲で日本歌謡界のトップスターに君臨し続けた中森明菜(56)がまもなくデビュー40周年を迎える。
ここ数年は公の場に姿を見せていないが、デビュー日の5月1日、並びに6月17日には40周年を記念してWOWOWで過去のライブ映像が配信されるなど、今もなおその人気は衰えていない。
しかし、’89年に自殺未遂を起こして以降、90年代には事務所トラブル、’10年に無期限活動休止を発表するなど波乱の多い人生でもあった。
’81年、15歳で『スター誕生!』で山口百恵の『夢先案内人』を熱唱したことをきっかけに芸能界入り。
翌’82年に“ちょっとエッチな美新人娘”というキャッチフレーズでデビューし、同年発売した2枚目のシングル『少女A』ですぐさまブレイクを果たした。
松田聖子を代表とするそれまでの可愛らしいアイドル像とは異なる、明菜の不良っぽい雰囲気と歌声は、多くの人を魅了。
瞬く間にトップアイドルの座へと登り詰めたのだ。
‘85年の『ミ・アモーレ』と、その翌年に発売した『DESIRE-情熱-』では、史上2例目となる2年連続の日本レコード大賞受賞の快挙を達成。
その後も数々の賞を受賞し、明菜はアイドルとしての絶頂期を迎えることになる。
何もかも順調に見えた明菜だが、プライベートでは悩みを抱えていたようだ。
’89年7月11日、当時交際していた近藤真彦(57)の自宅で左肘の内側を刃物で切って自殺を図ったのだ。
帰宅した近藤に発見された明菜は、病院へと緊急搬送され一命を取り留めた。
明菜は近藤と共に’89年12月31日の大晦日に、一連の騒動に関する会見を開いたが、その会見は”結婚を連想させる金屏風の前での謝罪”という異様なものに。
明菜の辛そうな面持ちに、世間からは心配の声が相次いだ。その後、近藤とは破局した。
この件を境に、明菜の周りではトラブルやスキャンダルが多数報じられるようになる。
女優として活躍したり、『Dear Friend』(‘90年)などのヒット曲を発売したりする一方で、事務所やレコード会社の移籍を繰り返す。
その後、徐々に活動の範囲を絞っていった明菜。’10年には体調不良により無期限の活動休止を発表したのち、’14年末に『紅白歌合戦』に出演。
’16年からはカバー・アルバムを発売するなど本格的に再始動したが、’17年のディナーショーを最後に公の場には一切姿を見せていない。
デビュー40周年を迎える今年、明菜の歌声を聞くことはできるのだろうかーー。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ad1b6795bd2c598f6898e5936b9cec55fd31933
華原朋美、ファンを傷つけた夫の行動を「決して許す事はできません」
約4か月間で25キロ減量したことを公表し話題となっている歌手・華原朋美(47)が21日にツイッターを更新。自身のファンへとった夫の態度について「決して許す事はできません」とつづった。
【写真】華原朋美、11キロダイエットのビフォーアフター
華原は同日、「あぁ~あ~、、坂上忍さんみたいな男性と結婚したかったなぁ」とツイート。この投稿に寄せられた「えぇ~っ!素敵な旦那さまじゃないですか 罰があたりますってば」というリプライを引用し、華原は「実は先日私の大切なファンの方に主人が傷付けました。私にプレゼントを渡したいと思い主人に声を掛けたら、手を使ってシッシッてあっちいけみたいな行動をこの一年半の間とっていたことが分かりました。私はファンあっての華原朋美です。そんな主人の行動に対して決して許す事はできません」とつづった。
華原は昨年8月17日に自身のマネジメントを手がける事務所代表の男性と結婚。19年8月、外資系企業勤務の一般男性との間に45歳で男児をもうけたが、今回が初婚。14日夜のブログで「また妊活始めます」と報告した。
4/21(木) 20:48配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1495ff18a8444e55f623c911eebb47df680fea29
松田聖子、沙也加さん死去後初の復帰ステージで涙…前に歩く選択
4/9(土) 20:34配信
スポーツ報知
歌手の松田聖子が9日、東京・グランドプリンスホテル新高輪でプレミアムディナーショーを開催し、112日ぶりにステージ復帰した。女優で歌手のまな娘・神田沙也加さん(享年35)が急死した昨年12月18日に、同会場でクリスマスディナーショーを行って以来のステージ。ファンの前に姿を見せたのも沙也加さんが亡くなった後、初めてとなった。
ステージ冒頭、「あなたに逢いたくて~Missing You~」「SWEET MEMORIES」を歌い終えた聖子は「私の娘は去年12月18日に、天国へ旅立ちました。あまりにも突然のことで、現実を受け止めることがとても難しくて、今でも正直、信じられない気持ちでおります」と声を絞り出した。
沙也加さんが子どものころからおもちゃのマイクを持って、聖子の持ち歌「Rock’n Rouge」を歌っていたエピソードを明かし「私は沙也加の歌声が大好きでした…。今も彼女の歌声は私の心の中に響いています」と語ると涙声に。「この先も頑張って、沙也加と歌って参ります」と声を震わせると、会場からもすすり泣きの声が聞こえた。
3曲目にセレクトしたのは坂本九さんの「上を向いて歩こう」。2011年の大みそか、沙也加さんと紅白歌合戦で初めて母娘共演した際に披露した思い出の楽曲。歌唱時には左手で口を覆い、涙で歌えなくなる場面も。思い出の歌詞をつむぎながら何度も涙をぬぐった。
昨年末、突然の悲報に接した聖子は、東京(19日)、大阪(23~26日)でのクリスマスディナーショーを中止し、札幌市内へと飛んだ。亡きがらとなったまな娘と対面。荼毘(だび)に付された後、元夫の俳優・神田正輝(71)と共に報道陣の前でコメントし、気丈に振る舞った。同25日にはNHK紅白歌合戦への出場辞退を発表。予定されていた仕事のスケジュールを全てキャンセルし、その後、4か月近く、表舞台に立つことはなかった。
すでに聖子は、6月11日の埼玉・さいたまスーパーアリーナから全国アリーナツアー(8月28日まで5都市8公演)を行うことが発表されている。一歩ずつ、それが半歩ずつであっても、前に進んでいく選択をした。沙也加さんが何よりも愛した歌の道。天国のまな娘との思い出を胸に、聖子はこれからも、上を向いて歩いていく。
https://news.yahoo.co.jp/articles/137912d5f807e7bde8ffc64900db27ec91ae9d2f
和田アキ子が新型コロナ感染…ホリプロが発表
4/7(木) 14:01配信
スポニチアネックス
歌手の和田アキ子(71)が新型コロナウイルスに感染したことが7日、分かった。同日、所属のホリプロから発表された。
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/40a1f444da5431b06d3aaf677fd5586fa8b4f07f